中島(なかじま)城

2015年2月1日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市中島町鮫田

 

◆交通:

 

◆歴史:

由良平八郎が築いた城と言われているが、築城年代などは不明である。

室町末期には今川氏に属している板倉重定が攻め落として居城とした。

桶狭間合戦以降も重定は今川氏に属しており、豊川市にある佐脇城八幡城などにも名前を見る事ができ、対松平の最前線で戦い続けた武将と言える。

 

永禄4年(1561年)松平元康が三河統一のため軍を発し、中島城は元康配下の深溝城主松平好景が攻め落とした。

城主の板倉重定は岡城を経て、八幡城まで下がって東海道沿いを警戒するものの、酒井忠次が1千騎を率いて攻め寄せ、赤坂合戦で討ち死にを遂げる事になる。

 

中島城主を攻略した松平好景であったが、東条城の吉良義昭が上野城を攻略すると見せかけて出陣すると、これに対応して好景が軍勢を出した隙を狙って、吉良陣営は中島城に攻め寄せ、好景を初め板倉好重などが討ち死にをした。

 

しかし、その後に行われた藤波畷の戦いで元康は吉良氏を屈服させて三河統一を果たす事になる。

 

◆現在:

宅地化されており遺構などは残されていないが、300m程東側には板倉好重戦死の地と言う碑が立っている。

 

また、城主の松平好景は城の南下永良陣屋近辺で討ち死にをしたとされ、陣屋跡の近くに碑が立てられている。


住宅地の中に残る板倉好重戦地の碑