荻(おぎ)城

2016年2月15日撮影


◆別名

 

◆所在

幸田町荻城跡

 

◆交通

23号岡崎バイパスを芦屋インターで降り、国道248号線を豊田・岡崎方面に進む。

2つ目にある萩北の信号交差点を右折し、200m程先にある2個目の四つ角を左折。

次の四つ角を右折して、120m進んだ道路の右側に碑が立てられている。

 

◆歴史

寛正年間(1461年~1466年)に内藤氏が築いたと言われる。

内藤氏は藤原秀郷の流れを汲むと言われており、毛利元就に仕えた内藤隆春(周防内藤氏・毛利輝元の母方の祖父にあたる)や、丹波国で小西行長に仕えた内藤如安(丹波内藤氏)などと先祖は同じである。

 

しかし、戦国時代の武将で三河内藤氏中興の祖と言われる内藤義清が出るまでの事跡は定かでは無く、仮冒の可能性が高いとも言われている。義清は松平信忠、清康父子に仕え、上野下村城主として織田信秀の軍の侵攻を何度も退け、享栄2年(1529年)には松平清康に従い、宇利城吉田城攻めなどで大きな功績を上げたとされる。

 

義清の嫡子である清長は父の跡を継ぎ、天文11年(1542年)に織田方が上野城を攻めてきた際に、一族と共に防戦に努め、数十人の織田方を討ち取って追い払った。

 

永禄6年(1563年)に三河一向一揆が起こると、清長は一揆衆へ味方をして松平元康に敵対するが、敗戦後はこの荻城で蟄居し、病没したと伝わる。

 

◆現在

昭和初期までは堀や土塁が残されていたと言われているが、耕地整理によって消滅した。

現在は水田の脇に碑が立つのみとなっている。