藤川(ふじかわ)城


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市藤川町西町南51

 

◆交通:

 

◆歴史:

元亀3年(1572年)に内藤家長が徳川家康より拝領した城の一つである。

家長の父である内藤清長は弓の名手として名高く、姫城を本拠として松平家に仕えていたが、三河一向一揆の際には一揆軍に身を投じ、徳川家康と対峙した。

 

家長は一揆に組みせず、父と訣別し、徳川家に従って各地を転戦し戦功を挙げたと言われており、この一貫した姿勢が家康よりの信頼を得る事になり、『家』の字を拝領して家長と名乗った上、本貫地の姫城に加え、東蔵前城と藤川城を賜ったとされる。

 

天正18年(1590年)家康の関東移封に伴い、上総佐貫城へと移ったため、藤川城は廃城となったと伝わる。

 

◆現在:

伝誓寺の裏山にあたる権現山の山頂に城は築かれていたと言われているが、遺構らしき物は認められない。

一帯は東海道の藤川宿として栄え、名古屋鉄道の藤川駅前には家康の像が立てられている。

 

また、国道1号線の北側に位置する関山神社の歴史にも家長の名が記されているから、城の鎮守として勧進されたと思われる。