保久(ほっきゅう)城

下山小学校に立てられている城址碑

 

2018年11月25日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市保久町市場16

 

◆交通:

 

◆歴史:
現地に立てられた碑文によると、足利家の被官である山下義通が安貞年間(1227年~1229年)から寛喜年間(1229年~1232年)頃に下野国から三河へ移り、嫡子の義村が保久城を築いたと記されている。

 

享徳10年(1461年)山下重久の時、勢力を伸ばしてきた松平信光(松平宗家三代目)に対し、大給城の長坂新左衛門、岩倉城の岩倉源兵衛らと共に円川で戦いを挑むものの敗北。重久は討ち取られ、子の重勝、重仲は簗瀬姓に改姓し、保久に住み続けたと伝わっている。

 

◆現在:

下山小学校の敷地の奥に城址あり、曲輪や空堀等の一部が現存。

裏山にある万福寺の脇には、山の各所に立てられていた山下家代々の五輪塔を集めた墓所が作られており、住職を始め周囲の人々が菩提を弔っている。