東蔵前(ひがしくらまえ)城

2017年5月2日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市東蔵前町火打山

 

◆交通:

 

◆歴史:

築城年は定かではないが、矢矧川東岸と言う立地条件から見ると、松平宗家3代目の松平信光の子にあたる松平家勝が築いたと考えられる。

 

松平信光には一説には40名余りの子があったと言う伝承が残されており、岩津松平や安城松平など、主流となる家系の他、竹谷城形原城大草宮石深溝能見長沢牧内鴛鴨などの各城へ息子を配し、西三河一帯を中心とした一大勢力を築く事に成功した。


家勝はすぐ西にあったと言われる磯辺城と、豊田市の丸根城の城主としても名前が残されており、丸根松平家の祖となっている。

 

元亀3年(1572年)になると内藤家長は姫城に加え、藤川城と東蔵前城を家康から与えられ、8千石を領有したと伝わるが、天正18年(1590年)の家康の関東移封に伴い、家長も上総佐貫城主として2万石を得ており、東蔵前城はこの時に廃城になったと思われる。

 

家長は関ケ原の合戦直前に伏見桃山城で戦死しているが、その子孫は拳母藩を始めとして、6家が大名となっている。

 

◆現在:

天満宮近辺が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。