◆別名:
◆所在:
岡崎市秦梨町神谷
◆交通:
◆歴史:
嘉元3年(1305年)に鎌倉幕府の被官として赴任した粟生永信は梅薮屋敷に居を構えたが、鎌倉幕府末期の混乱の中、秦梨山城を築き移住する。
戦国時代に入ると粟生将監は駿河の今川義元に属していたが、弘治2年(1556年)同じく今川氏に属していた亀山城主奥平貞勝は、以前に婚姻関係にあった緒川城主の水野信元の誘いを受け織田方に寝返り、秦梨城を攻撃してきたものの、これを撃退して今川義元より感状を受け取った。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、粟生永信は駿河に逃れるが、子の信盛は松平元康に属し、三河一向一揆の際に信盛は六名へ移住。その後、酒井図書が城主となるが、松平元康が三河統一を果たすと、秦梨地区にある各城の必要性は薄れ、廃城になったと伝わる。
◆現在:
住宅の裏山に城址碑が立てられており、空堀跡や土塁などを見る事ができる。