◆別名:
◆所在:
岡崎市大和町沓市場65
◆交通:
◆歴史:
築城年は不明だが、阿部因獄正(※注1)が築いたと伝わる。
その後、安藤信平が入場し安藤氏の居城となった。
信平は安城合戦で織田信秀と戦い討死。嫡子基能は三方ヶ原で戦死している。基能の後を継いだ安藤直次は幼少より徳川家康に仕え、姉川の戦いを始めとして、長篠や小牧長久手などの戦役に参戦している。
家康の関東移封に伴い、桑子城は廃城になったと考えれれる。
※注1
因獄正は平安時代以前に使用されていた官職名の一つで、獄舎の管理や刑の執行などを行う役職だが、平安時代には検非違使に取って変わられ、名前からも嫌われた役職である。
◆現在:
境内には安藤直次、本多忠豊、本多忠高、高木正清、平岩親吉、長坂血槍九朗の墓が残されているが、城館の遺構は存在しない。