◆別名:
◆所在:
岡崎市大和町家下
◆交通:
◆歴史:
一色左京が築いた城館と伝わる。
築城年は不明だが、名前から三河守護一色氏の流れを汲む人物と考えられるため、応永の乱(1399年)前後に築かれたと推測できる。
三河守護一色氏は隆盛と衰退などを繰り返しながらも、本貫地である三河を支配し続けたが、応仁元年(1467年)に起こった応仁の乱で、一色義直は西軍に属し、戦いに敗れ去った。
この時、講和の条件として三河を放棄。その後は東条城の吉良氏、岩津城の松平氏などが争いながらも領地を拡大していった。その中で松平信光(松平家3代目)は、息子の親正を牧内の地に配し、牧内松平を名乗らせている。
元亀元年(1501年)松平親忠(松平家4代目)が没すると、大樹寺で法要を行っており、そこで記された連判状に牧内松平忠高の名前を見ることができるが、その後の牧内松平家の動向は不明である。
◆現在:
JAの脇に祠があり、この近辺が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。