渡(わたり)城

2018年9月14日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市渡町東浦4

 

◆交通:

 

◆歴史:

熊野権現神職の家系である熊野別当行範は平清盛から平氏姓を賜り、鳥居法眼と呼ばれ、その子、行忠は承久3年(1221年)に三河矢作庄渡里へ移り住み、渡里忠氏と名を改め渡城を本拠として一帯を支配。南北朝時代に入り、忠氏の子孫である渡里忠景は南朝の新田義貞に従い各地を転戦するも、義貞の戦死後は渡里村へ帰還し先祖の鳥居姓を名乗り、渡里の地の支配をし続けた。

 

室町時代に入ると、勢力を伸ばして来た松平氏に従うものの、松平清康が死去すると、駿河の今川氏と尾張の織田氏の勢力争いに加え、松平氏の中で内紛が起き、宗家に仕えた鳥居氏だが、渡河原の戦いでは織田方に付いた反宗家の中心である上宮寺城の松平忠倫らによって鳥居忠宗(鳥居元忠の長兄)が討ち取られ、渡城は落城。

 

松平忠倫を暗殺するなど、反宗家を排除した後、鳥居忠吉は今川氏に人質として赴く竹千代(後の徳川家康)に元忠を付け、自身は主不在の岡崎城で松平家に仕える人々を取りまとめ、竹千代が帰城した時の役に立てようと、渡城には武器・兵糧を蓄えたと言われている。

 

◆現在:

一帯は民家となっており、明確な遺構は残されていない物の、城跡には渡里城址の碑が建つ他、鳥居氏発祥地の碑も残されている。

また、700m程南に建つ諏訪神社の境内には渡古戦場の碑も残されている。


鳥居氏発祥の地の碑


渡古戦場の碑