大久保(おおくぼ)陣屋

2016年2月15日撮影


◆別名

 

◆所在

幸田町坂崎御屋敷

 

◆交通

岡崎方面から国道248号線を幸田方面へと進み、弁天の信号交差点を右折するとすぐ、右側に神社が見えるが、そこが陣屋跡になる。

 

◆歴史

大久保氏は岩津松平家譜代の由緒ある家柄で、大久保忠員と息子の忠世・忠佐父子は蟹江七本槍として名前を馳せている他、嫡男の忠世は本多正信の帰参を助けるなど政治的感覚も鋭く、徳川十六神将の一人でもある。

 

天正18年(1590年)に関東の北条氏が滅亡すると、徳川家康が関東に移封された事に伴い、大久保忠世は小田原城主となっている。

文禄3年に忠世が死去すると家督は嫡男の忠隣が相続するが、慶長18年(1613年)に失脚する。

 

忠世の弟で3,000石余を拝領していた忠教もこれに連座し、一旦は領地を失う事になるものの、家康の直参扱いで1,000石を貰い受け、この地に陣屋を築いた。

 

大阪の陣では槍奉行として従軍し、その後三代将軍家光の代に1,000石の加増を受けて竜泉寺桑谷羽栗などを領している。 

 

◆現在

陣屋跡は八百冨社となっており、神社の南側に陣屋の石垣が残されている。 

境内には坂崎城にあった射割石が移されてきている。


神社の南側は一段高くなっており、陣屋の石垣が今でも残されている。


坂崎城の近くに昔からあった片岩。

徳川家康の配下である平岩親吉の先祖は、この岩に因んで平岩姓を名乗ったと言われている。

 

ほ場整備のため、この神社へと移された。