高力(こうりき)城

2015年2月15日撮影


◆別名:

 

◆所在:

幸田町高力熊谷

 

◆交通:

県道78号線の幸田高校北交差点を北へ進み、相見川にかかる熊谷橋を渡ってすぐの路地を左に入ってすぐに城址碑が立てられている。

 

◆歴史:

松平家に仕える高力氏代々の城と言われている。

森山崩れで松平清康(徳川家康の祖父)が暗殺された後、尾張の織田信秀が三河への侵攻を開始する。この戦いの中で高力重長、安長父子は討ち死にを遂げた。

 

安長の嫡男である清長は、この時6歳の幼少で、叔父に養育されて松平広忠(家康の父)に仕えたが、天文21年(1552年)になると、息子の家康に仕えるようになり、駿河での人質生活を共に送る事になる。

 

その後は各地の戦いで戦功を挙げているが、三河一向一揆鎮圧後に仏典の散逸を防ぎ、寺社を元通りにするなど、尽力を惜しまなかったため、領民からは『仏の高力』と言われ、本多重次、天野康景らと共に、岡崎三奉行の一人に任命された。

 

高力城は山泉寺近辺にあったと言われているが、詳細は不明。

元亀元年(1570年)に姉川の合戦の功績により遠州に領地を与えられている事から、これ以前に高力城は廃城となったと思われる。

 

◆現在:

相見川にかかる橋の北西に碑が立てられているのみで、遺構などは存在しない。