深溝(ふこうず)城A

2016年2月15日撮影


◆別名

 

◆所在

幸田町深溝里前

 

◆交通

JR三ヶ根駅東側を走る国道23号線を岡崎方面へ北上し、深溝中池田の信号交差点を右折する。

230m程進んだ5つ目の路地を左折した正面に城跡碑と看板が立てられている。

 

◆歴史

大庭氏によって寛喜3年(1231年)に築かれた事が始まりとされるが、正慶元年(1332年)と言う説もあり、正確な所は不明。

 

安翔城主で松平宗家5代目当主である松平長親は、五井城主である松平元心(長親の従兄弟にあたる人物)に深溝城の攻略を命じ、元心は城主の大庭次郎左衛門を討ち取る事に成功する。

元心はこの戦功を弟の忠定に譲り、忠定は深溝城へ入って深溝松平家を興した。

 

二代目の好景は戦に長けた人物で、徳川家康の三河統一戦では東条吉良家と対峙し、中島城を初めとした城を落とすなど、数々の戦功を挙げているが、善明堤の戦いで討ち死にを遂げた。

下永良陣屋跡の近くには松平好景の功績が書かれた碑と、戦死の地と記された碑がが立てられている。

 

その後も深溝松平家が代々支配していたが、慶長17年(1612年)に吉田城へ移封になると、板倉氏の支配下となり、後に陣屋になっている。

 

◆現在

明治維新を迎えた時に陣屋は廃され、昭和に入ると土地が民間に売却。工場の用地となり大半が削平され、大手門近辺にあった土塁の一部が残されているのみである。


大手門脇の土塁跡

平成18年に発掘調査が行われた後、南側半分は整地され宅地となった。