東部(とうべ)城

城跡に建てられた市杵島神社

 

2016年2月15日撮影


◆別名

鷲田城

 

◆所在

幸田町菱池東部

 

◆交通

JR幸田駅前を通る県道483号線を北上し、東部の信号交差点を西に入り、300m程進んだ先に市杵島神社がある。

 

◆歴史

永禄4年(1561年)に酒井正親によって築かれた城で、松平元康が吉良氏攻めの足掛かりとした城とも言われている。

 

天正13年(1585年)には深溝城の松平家忠に改修を命じているが、これは小牧長久手の戦い以降、天下を目指す豊臣秀吉に対しての警戒の意味があったと想像できる。

 

家忠は浜松城や新城城などの修築、高天神城攻めの際の付砦の構築などを任されるなど、土木技術に長けていた人物だったと思われ、家康の四男松平忠吉の後見として忍城を任されるなど、家康の信頼は厚かったが、関ヶ原合戦前に起こった伏見城の籠城戦で鳥居元忠らと共に討ち死にを遂げている。

 

◆現在

市杵島神社となっているが、道路で南北に分断されている。