欠(かけ)城

欠城の地は岡崎東公園となっており、その一角に本多忠次邸が移築保存されている。

 

2017年5月2日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市欠町足延

 

◆交通:

 

◆歴史:

本多忠真の居城である。

忠真の父、本多忠豊は天文14年(1545年)に起きた安翔城合戦で、松平広忠の身代わりとなって、織田勢へ突入して討死を遂げ、その跡を継いだ忠高も、天文18年(1549年)に今川勢主導で行われた安翔城攻略戦で、織田信広の捕縛を焦るあまり深入りして討死を遂げてしまう。

忠真は忠高の遺児鍋之助と、その母を欠城へと引き取り養育を施した。

 

永禄13年(1560年)鍋之助は元服を行い、本多忠勝として鷲津砦攻めで初陣を果たすが、忠真はこれを補佐して忠勝の窮地を救うなど、数々の合戦に忠勝と共に従軍。元亀3年(1572年)に起きた三方ヶ原の戦いの退却戦で殿軍を率い、追走する武田軍と激戦を繰り広げた末討死を遂げている。

 

◆現在:

岡崎東公園の一角に、本多忠次邸が移設されており、邸内の見学も可能である。

忠次は本多忠勝から数えて17代後の子孫にあたり、忠次の父である本多忠敬は最後の岡崎藩主である。

 

忠次邸は昭和7年(1932年)に東京世田谷に建てられた物で、2012年に岡崎東公園の一角に移築復元されている。

 

本多家ゆかりの地に移築したと思えたのだが、邸を管理している職員の方に話を聞くと、全く関係はなく、単に場所が空いていたからと言うロマンの無い返答が返ってきたのは少し残念だった。