洞(ほら)城

洞城があったとされる近辺。

 

2017年5月2日撮影


◆別名:

本多忠勝屋敷

 

◆所在:

岡崎市洞町本郷

 

◆交通:

 

◆歴史:

天文14年(1545年)織田氏と松平氏の間に起きた安翔城合戦で、本多忠豊は松平広忠の身代わりとなって、織田勢へ突入して討死。その跡を継いだ忠高は、天文18年(1549年)に今川勢主導で行われた安翔城攻略戦で、織田信広の捕縛を焦るあまり深入りし、こちらも討死を遂げてしまう。

 

忠高には天文17年(1548年)に産まれた鍋之助と言う名の嫡子がいたが、幼少のため、忠高の弟である忠真に母と共に引き取られ、忠真の居城である欠城からすぐの、この地に屋敷を構えたと言われている。

 

鍋之助13歳の時、元服して本多忠勝と名を改め、桶狭間の戦いの前哨戦である鷲津砦攻略で初陣。その後、徳川家康に従って浜松へ移り住むまでの間、この屋敷に在住したと伝わる。

 

本多忠勝が浜松へ移り住んだ後、徳川秀忠の元で大番を務めた三輪元明の義父にあたる山下義勝が居住したとも言われているが、時期などの詳細は不明である。

 

◆現在:

額洞寺とその北側一帯が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。