伊賀(いが)城

2015年10月26日撮影


◆別名

伊賀村古城

 

◆所在

岡崎市伊賀町西郷中

 

◆交通

 

◆歴史

大草城主である大草松平家の七代目康安が築いた城と伝わる。

 

四代目昌久の時に三河一向一揆が起こり、大草松平家は一揆側に付いて家康と戦ったが敗戦。

戦後所領は没収されて一族は流浪の身となったが、康安は鉄砲が得意だった事もあり、家康の長男であり、岡崎城主であった信康の旗本として徳川家に帰参した。おそらくはこの時に伊賀城が築かれたと推測される。

 

その後、信康の廃嫡などはあったが、康安は武田・北条戦線で活躍しており、家康の死後ではあるが6000石を秀忠より賜った後、駿河大納言忠長(三代将軍家光の弟)付きとなるが、忠長が改易となった際に連座して所領を公収されている。伊賀城はこのあたりの時期で破却されたと思われる。

 

◆現在

明願寺となっており、城跡の南には伊賀神社が鎮座している。


明願寺の南側は崖となっているが、切岸なのかどうかは不明。

 

現在は竹藪に覆われているが、竹を切り払えば岡崎城まで見通せる高さではある。